忙しい街
こないだ実家から帰って来る途中に新幹線から撮った東京の街。
東京のビル街を眺めているのは好きだ。
自分もこの忙しい街の中で生きてることを実感する。
人混みとかうるさいのとか結構嫌いじゃなくて、満員電車とかは好きくないけどスクランブル交差点とか新宿とか、色んな人生をバーって見てる気がして、がちゃがちゃしててなんか安心する。
東京は新しいものも古いものもたくさんあって、選択肢が山のようにあってたくさん悩むけど、それすらも楽しく思える街だと、私は思う。
だからこそのまれないように生きていかなきゃいけない。
いま悩んでも悩んでも、どうしたらいいか答えが出なくて途方に暮れています。
時間にゆだねるしかないのかなあ。
こんな日はフジを聴くに限る。
明日起きたらガッキーになってないかな。
それでは、おやすみなさい。
生きがい
今日は人生の選択についてただひたすら悩んだ一日だった。
私に今ある選択肢は二つなんだけれど、
結局どっちも甘えだなあと思うくらい勝手をしていることを改めて思い知った。
心も身体も追いついていないままで、
これからただがむしゃらに頑張るのか、
一度実家に帰って母と弟と暮らすのか、
両方をずっと想像してた。
どっちも想像できるんだけど、
帰ってる自分の方が幸せそうで、
ただ普通にご飯食べて家事分担して、
今日のことやTVを見ながらくだらない話をして、そんな普通の日々に、今私はとても憧れていて、本当にないものねだりだなぁと思う。
自分がどれだけ幸せだったか。
毎日毎日ご飯使ってくれて、
洗濯も掃除もして仕事にも行って、
当たり前に生きることの尊さに私は全然気づけなくて、
本当にダメな子供で嫌になる。
こっちに出て来てもうすぐ丸3年になるけど、
家族で食べるご飯の美味しさを知ってることの幸せをひしひしと感じた。
私って恵まれてたんだなって。
それで苦しくなって、考えたくなくなって、
ずーっとグルメ漫画読んでた。
気づいたらこんな時間。
美味しそうに食べてる人を見るのは本当に幸せだし、あと、ご飯を作ってる過程を見るのが大好き。
料理動画を延々と見てるのが楽しくて。
私は衣食住の衣の分野の仕事にしたいんだけど、ただ純粋に幸せだな〜〜って感じられるのは食かもしれない。
だからご飯に味を感じなくなっていくのがとても悲しい。食べるの大好きなのに。なんでなの。食の楽しみくらい奪わないでほしい。
もう少し私が生きてることに満たされるようになったら、もっと美味しく感じられるかな。
ただ好きな人と美味しいものを食べてるだけでなんでも頑張れるしそれだけで幸せなのに。そんな時間も今の自分にはない。
贅沢なんてしないから、ちゃんと節約するし料理ももっと上手くなるから、少しくらい幸せ落ちてこないかな。
明日はご飯が美味しいといいな。
息の吸い方がわからない
最近、いろんな感覚が衰えてきた気がする。
好きなものを食べても美味しいとあまり感じなくなってきて、お腹空くのに食べたいっていう気持ちはあるのに食べても全く満たされない。
上京して心がどうしようもなくなると、よく過食に走っていたんだけど、昨日耐えられなくなって久しぶりに過食したら全く満たされなくて、そんな自分に絶望した。
年が明けて色んなことを整理した。
自分の状況や部屋や交友関係。
私の身の回りのもの全部。
この2年くらいずっと情緒が不安定で、
でもやっとそういうのが落ち着いてきて
ちゃんと生きることに対して前向きになっていたんだけど、
それでもやっぱり不眠はなおらないし、
やっと眠ってもイヤな夢ばかり見るし、
今までおろそかにしていた掃除とか勉強とかしてみたりして、1人で生きてくためにちゃんと頑張ってみたけど、そうやって頑張れば頑張るほど心だけがどんどん孤独に置いてけぼりで、
不安とか苦しさとかじゃなくただ自分がどこかいなくなってしまいそうで、
虚無感でいっぱいで
卑屈で妬みっぽかった自分が、他人への嫉妬とかそういうものを考えるのもイヤで、どんどん諦めに向かってく。
思い出したくないものばかり頭に流れ込んできて、終わったはずのことなのに私の中では何一つ消化できていなかったことを実感する。
あの時は楽しかったなとかあの時に戻りたいなんて思えた日々がなく、ただ戻れるなら最初から全てやり直したいと思う
そんな風に愛されたいよ、私も
あまりに惨めだからいつも蓋をするけど
そんな思いはどんどん大きくなって
このまま一生終えるんじゃないかってくらい不安になる 毎晩
悲観的になりすぎだって笑われるかもしれないけど
心の底からそう思うくらい現実は辛い
もう人を妬みたくないし恨みたくない
負の烙印ばかり押されるのは疲れた
なんで勝負してないのに負けって言われるのっていつも思う
こんなこと誰にも言えなくて結局誰もみてないブログに書いて、きっと私はそんな自分に酔ってるんだろうきっと
でももう疲れた
本当に疲れた
フジファブリックについて
一昨日雪が降った。
と言っても、その日はわたしは外に出なかったから窓から覗いただけだったんだけど、それでも少し、興奮した。
ついに東京にも冬がやってきた。
冬は、どんな季節よりも長く感じる。実際期間も他の季節よりは少しばかり長いっていうのもあるけれど、気持ち的にすごく長い。
明るい時間がどんどん短くなって夜が長くなるように思って、なんとなく切ない気持ちになる。
そうでなくても、12月は私にとって悲しい季節だから、多分いつもより少し息苦しい。
クリスマスまでもう1ヶ月。
いつからか、クリスマスイブの日は一年で一番悲しい日に変わってしまった。
私は、志村さんが亡くなってからフジファブリックを知った人間で、最初は亡くなっていることすら知らなかった。
当時中学生で、ちょうど私はバンドとかロックにはまってて、塾の仲いい先輩にいろんなアーティストの入ったUSBを貸してもらって、その中の一つがフジファブリックだった。
上手くは言えないけど、私が今まで出会ったことのない音楽で、こんな世界もあるんだって思って面白くて、そうやって聞けば聞くほどはまっていった。
それからYouTubeとかでフジの曲を色々聞いたりTSUTAYAで借りてきたり。どんどんフジのことを好きになっていって、そしたらもちろんフジのことを知りたくなって、なんとなくウィキペディアを覗いたんだよね。
そこではじめてボーカルが亡くなっている事実を知った。
あの時は正直意味がわからなかった。13歳とかだったから自分の身の回りで死というものに関わる機会すらなくって、もちろん学校で戦争について勉強したりドラマとか映画とか小説とか、創作物でそういう描写があるものとは触れ合ったことがあるけど、実際に自分の世界の中で死に直接関わったことがなかったんだ。本当に。
だからよく、わからなくて。
でもそれはまぎれもない現実で、自分の人生の中で初めて喪失感というものを味わったときだった。
そしてそれと同時に、どうしようもない後悔にも襲われて。
もっと早くフジのこと知ってたかったって、今更言ったってどうにもならないのに。
でもね本当に一度でいいから生で彼の声を聞きたかったって思うよ。
同じ時代に生まれたんだから。
でももちろん、そのことを知ってからもどんどんフジのことを好きになっていくし、今は他のどのバンドよりどのアーティストより、フジの音楽が一番好き。もちろんメンバーも。志村も。
あれからクリスマスイブは一年で一番悲しい日になってしまったけど、私が考えたところであの日何があったのかなんてわかりっこない。
今でもちゃんと受け入れられているのかわからないけど、私が彼らの曲を愛していることは何も変わらないんだ。
いつか私も彼と同い年になって、彼より大人になっていく。それでも、いつまでも彼の作り出した音楽と一緒に歩んでいけたらいいなと思う。
あなたの命日が来ると、私は一年の終わりを感じます。
元気に酒でも飲んでんのかな〜
それぞれの形
たまに何に傷ついてるかわからないけど、死ぬほどしんどいときがある。
未来が見えないとか、お金がないとか友達とうまくいってないとか、具体的な話は一個も浮かばないのに、ボーッと不安になる。
明日まで生きてんのかなーとか
明日も生きなきゃいけないんだーって意味もなく考えてみたり。
私はみんな辛いし大変だよって言われるのがすごく嫌い。
みんなの話、してるんじゃなくて私が辛いって話をしてるのに。
話なんてろくに聞いてなくてもいいから、頑張ってるねお疲れ様って甘えさせてくれるだけでいいのにな〜って思うけど、これってワガママなのか。
私は相手が愚痴話してるときは、
どう思っても同意するし大変だねってウンウン話聞く人だから、逆に相手に愚痴話した時に自論で話されるとその人のことちょっと苦手になる。
意見が欲しいんじゃないんだけどって思ってしまう。
だけど多分、私がやってるのはただの上っ面で、本当に優しい人はちゃんと思ったこと言ってくれるんだろう。
優しい、なんて人によって感じ方も使い方も違うから、自分の優しいを人に押し付けることこそがエゴなのかも。結局、人に求めてばっかりなんだよね。難しいな。
はじめまして
こんばんは。もう朝だけど。
いつも何かに触発されて、ブログ始めるんですけど、また人のブログ読んで無性に書きたくなったのではじめました。
私のブログはだいたい愚痴ブログになる。けどまあどうせ誰も見てないからつらつら書ける。
鬱々とした気持ちを発散したいだけだから、不愉快だったらうるせーなブスくらいのこと呟いてそっとページを閉じてくれればな、と。
どうしようもないものを言葉にすると多少楽になるのは、どこかで誰かにこんな思いしてるんだよ私って知って欲しいんだろうな。
まあ、そんな感じでゆるーく書いていこうと思います。
よろしくお願いします。